ダブルバインドの本当の恐怖
ダブルバインドとは、
対象者に、命令とそれに矛盾するメタレベルの命令が提示されて、
対象者がその矛盾を解消できないような状況。
説明すれば、難しくてよくわからなくなるこの言葉も、日常にあふれてる。
ダブルバインドの本当の怖さは、前向きに何かを学ぼうとして行動した人にもやってくるから。
例えば今より何かを学んで良くなろうと思って学びの場に行ったとする。
そこで師が言う。
こう言う風にするのはダメだよ。
これが良いよ、正解だよ。
疑う事なくメモを取り、実行しようとするだろうね。
そうか、これがダメだったのか!だから自分は…などと反省しちゃったりして。
そうするのが正解なのか!自分はしてなかった!やらなくちゃ!!
何か1つ達成したら、成功体験!!とか言って喜んで見たりして。
でも人はなかなか変化することが難しいもので、できない時もある。
やったらいいって思ってるのに…
やろう、やろう、できない、できなかった…
前向きなはずの学びで疲れさえ感じたりしてしまう。
教えの最後の方、クライマックスあたりかな。
その頃に、師が言う。
人になんと言われようと、自分で考えなくちゃダメなんだよ。
あれ?
え?
混乱してしまう。
答えが見えなくなる。
学ぼうと思ってた頃の自分より、知識は増えたような気がするからきっと無駄じゃないんだと思いたい。
だけどあの頃より私は"良い自分"になれただろうか。
お金だってすごく払ったし、知り合いだって増えたし、良かったに決まってる。
そうだよ、だから…
学んだことを実践していけば何かが変わるに違いない!
いいことを聞いたんだし、わかったような気がすることもあるから教えてあげよう!!
完璧じゃなくてもシェアして、みんなで"良く"なろう!
だけどまだ何か足りない感じがする…
もう少し学んだら手が届きそうな気がするんだよね…
一生勉強って言うしね。
学ばなくなったら人は終わりとも聞いたことあるし。
拘束され続けてそこに居れば、何も気がつかないで居られる。
自分で考えることは怖いし、できるかわからないから。
指示があった方が断然楽だし…
そうやって、ネズミ講式に不安がばらまかれていく。
良くある話で、もしかしたら自分も関わってしまうお話。
ダークサイドは悪なのか
あの人はダークサイドに落ちたんだよ
そんなことを聞いたりすることがある。
その時私は、
「ダークサイドってなんだし。
それって君の主観だよね。
ジャッジだよね。」
と思ったわけで、その言葉を吐くことに引っ掛かりを持たない君もまたダークサイドって言うところにいると思うよ、と言うジャッジを下した。笑
よく言われるダークサイドとは、
お金の亡者になった(と言うジャッジ)
自分の言うことを否定した(と言うジャッジ)
自分の言うことを聞かない(と言うジャッジ)
とかとかだと思う。
その人と付き合うかどうかは置いといて、ダークサイドに落ちたから
"あいつはダメ"
と言う着地点に到着して、
だから付き合うに値しない
自分に利益をもたらさない
などと、どんどん上から目線に立ち、ダークサイドに落ちたらしい誰かなど関係なく自身がダークサイドにダイブしていく。
ダークサイドに落ちた誰かは、人生かけて、命かけて、その様を見せてくれているわけです。
おかげさまで自分は同じことをして見なくても、大体のことを知ることができるし。
ダークサイドにて大いに学んだ誰かは、大きく成長してまた別サイドに羽ばたいて見せてくれるかもしれない。
1つのことに取り組み続ける人生も、
転職しまくる人生も、
法を犯す人生も、
極悪非道な人生も、
全てただの人生だ。
軸は自分にある。
だから私自身はできるだけリアルに体験したい事柄に時間を捧げたい。
今私がいるところが何サイドでも別に構わない。
もっと言えば、それが善でも悪でもいい。
全てはそれぞれの主観だから。
本性がバレる
最近、魔法がかかったのか…とけたのかわからないけど、突如として本性がバレる人が沢山いるような気がしています。
これはもしかしたら、実は本性が隠せない時代が来ているのだけど、今まで嘘で塗り固めていた人のメッキが剥がれおちてしまって、そのことが目立っているだけなのかもしれないけど。
言ってることと、現状がチグハグ。
言ってることとやってる事がチグハグ。
過去に言ったことと、今言ってることがチグハグ。
そんな方に特徴的だなと思うのが、
"悟りました"
"解りました"
と、言うんですよね。
未来の我が身のために、ちゃんと見ておこうと思います。
自分を認めず、自分を敬わず、自分に嘘をつくと何を悟るのかな。
もう1つ、その様なチグハグな方にも同意して側に行く方も居るんですよね。
これはとても気をつけようと思います。
周囲が共感してくれたとしても、それが正しいかどうかはまた別なんだなと言うことですよね。
失敗するにしても、自分を裏切らないやり方で痛い目を見たいと思います。
人の真実が、ちゃんとバレるいい時代が来たんですね。
お金ってショボいよね
感情や思念が"物質"と同じ量子だと言うことが言われる様になってきています。
素人考えでは「そりゃそうだろ」と思うが、形ないものや目に見えないものや曖昧なものに、人間はめっぽう弱くて、目をそらしてきたようにも見えてしまう。
概念として持っていない感じ…とでも言いますか、思い込みが過ぎると言おうか。
"心"がはっきりとこう言う物です!と言い切られるのを望んでいない感じがする。
全ての物質のことをエネルギーと呼び換えるとすると、どうやら物質同士は等価交換ではないらしいと言うことを感じてしまう。
よく、愛はお金で買えない、とか、
その経験はプライスレス、なんていう言い方をする。
価値を表すのに"お金"が登場するけれど、お金と言うのは、物凄く控えめな換算方法だなと思っていて…
もっとはっきり言えば、お金って最もショボいエネルギーじゃないのか??と思っている。
もちろん、便利なシステムだと思ってます。
お金が生まれた背景が、物と物とを交換するために発生したのなら仕方のないことではあるけどね。
でも現在は、あらゆる行動や、思考なんかもお金で支払いをするから、その辺りは全くチグハグじゃないかなと思う。
サービスに対して。
技術に対して。
アイディアに対して。
この辺りだけを考えても、お野菜やお洋服を交換するのとはそもそも違うわけで、一体どういう物差しで価格が決まっているのかなんて、あやふやに決まってるよね。
誰でも、何にでも、価格を設定さえすれば、そういう事でやってはいけるでしょう。
ただ、考え方をお金から逆算すると、最も価値が小さいものとして提供してしまう可能性があるんだよね。
私が何かサービスを提供するとして、1回10万円じゃちょっと高いかもね、そんなに払う人いないんじゃない?じゃあ1万円ならありかもね…こんなアプローチをしがちです。
お金は物と物を交換する時の、物の代替品ですよね。
基本的に、お金そのものに価値はないのです。
そのお金の単位から、物事を図ろうとすれば、適正な価格でないのは明白です。
私の提供するサービスは、1万円分の価値があるよ!だから1万円です!
と言うのと、全く意味が違うのです。
物以外のものを受け取った時に、どれ程の価値を見出すかは受け取った人なわけだからね。
自分で事業をしている方は、特に自分をしっかりと尊敬してお仕事していただきたいと思います。
それ相応の事業と客層になることでしょうから。
お金から換算して幸せを図る方の事業では、同じ様な方か、お金のない方ばかりが集まるでしょうね。
年商や年収で幸福を買えるかのような宣伝をすれば、価値のわからない人に集合をかけているようなものでしょう。
何か行動するとき、お金以外と引き換えにする方が圧倒的に豊かだと言う事に、時代が気づいている感じがしますよね。
その事を知っている人は、真に豊かな人生を丁寧に送っていると思います。
真に豊かな人生と言うのは、一人一人違って当たり前ですから、それを尊重しあえる幸せと言うのもいいですね。
アナ雪を見て"支配"について考えた
テレビでアナ雪を放映してたので最初と最後のあたりだけチラ見しました。
劇場で観た時は、薄っぺらいストーリーじゃないか??なんて思いました。
しかし、自分が薄っぺらいだけだったのかも。
中々に考えたり拾ったりするポイントがありました。
特に"支配"について、とてもクリアに感じました。
エルサは自分の能力に支配されていたわけですが、最後には支配する側にまわったわけです。
私たちは何かと支配に傷ついたり、悩んだり、立ち向かったりしますが、実は支配しているのは自分そのものなんですよね。
だから、自分の目の前で起こるヘンテコな事柄も、自身の支配下なわけです。
それに気がつくだけで、ヘンテコがもたらす結末がどんなに意外であっても、結末は自分自身の血肉になるんです。
人生の支配者は自分。
目の前の出来事の支配者も自分。
世界中の知らない人や場所や出来事の支配者だって、自分なのよね。
学びにお出かけ♪迷子注意♪
私は新しい事、まだ知らない事を知るのが好きです。
学びはとても楽しい事だと思っています。
でもとても危うい事だなとも思います。
感情が動くということは、本来の自分自身からズレている状態だとも言えます。
本来の自分自身というのが、体や心の真ん中だとすると、刺激を求めたり得たりしているときにはお出かけしている…とでも言いますかね。
人は何かを新たに得た時、今までとは違う自分になれたような気になることがあります。
しかし真実は、何かを得た状態の自分なだけです。
自分は自分のままです。
当たり前ですけどね。
そういった"勘違い"を放っておくと、せっかく学んだにもかかわらず、人生迷子になってしまいます。
まだ学びが足りないのか…
今の自分じゃダメなんだ…
なんてね。
学んでワクワクした後は、ど真ん中の自分に帰ってきてね。
学んでも、学ばなくても、貴方は貴方です。
何かしてもしなくても、ダメでもなんでもありません。
学ぶことは"良いこと"でも"凄いこと"でもありません。
ただの学びですから。
学びを勘違いして戻ってこられなくなったら勿体無いですよね。
せっかくの学びですから。
コンテンツをお金にしたくない病
常日頃私が考えていること、
やりたい事、
私の脳内にある雑学や知識、
そう言うのを売り物にしたくありません。笑
時代に逆行してるのかもしれませんが、そう言うのどうしてもしっくり来ないんです。
だからと言って、誰かに貢献したくない訳じゃないんです。
ご縁があって、たまたまタイミングが合うことがあれば、伝えたり教えたりします。
カフェでも居酒屋でも、なんならうちに立ち寄ってくだされば!
そう言うのが私の原風景なんです。
最近痛感してます。
通りすがりに家を訪ねてくれて、お茶でも飲みながら近況や時には悩みを話したり。
私の知識でよければ伝えるし、手伝うし、誰か紹介したりするし。
お節介なら言ってくれれば凹んでやめるし。
どうぞ、必要な時に思いつきましたらご連絡ください。
生活が普通に出来てれば、それ以上は別にいいです。
丁寧に暮らしたいなとは思うけど、
生活自体にも縛られたくないかな。
これまでの人生の中で集めたものを、
お婆ちゃんの知恵袋みたいな感じで、誰かの小さなお役に立てたら嬉しいです。
コンテンツをお金にするとか無理
面倒
お金のせいで聞けない事とかあったら泣く
どうぞ私をご利用下さい。
そんな風に生きていけたら最高( ˙灬˙ )